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祖父 ~三代目 薄倉信次郎~

2011年8月10日

先日ふと、

現会長(親父)より見せてもらった資料で、

祖父のものがあった。

photo:02


ある雑誌に掲載されていたもので、

祖父の想いが書かれていた。

祖父は私が6歳の時に他界してしまったので、

残念ながらあまり記憶がない。

ただ周りの話を聞くと、

初孫だった私をとても可愛がってくれたようだ。

今はウスクラ建設だが、

祖父の頃は薄倉工務店の社名で工務店業を営んでいた。

私は祖父の仕事を見たことがなかったので、

その資料をとても興味深く読んだ。

~常に責任ある堅い仕事をする~息子の頑張りに期待して~
薄倉 信次郎 (株)薄倉工務店 代表取締役

―責任ある仕事をする―
常にこれを念頭に置いて歩んで参りました。工務店として設計、施工の事業に携わっている以上は、あくまでも施主に喜ばれる仕事をしなくてはなりません。値段が安く、しかも気に入っていただける仕事を続け、誠心誠意尽くす。これは私の信念でもあります。
 建築は、何代にも渡って残るものだけに、大切に仕上げたいのです。ですから、アフターサービスに徹する姿勢で仕事に臨んでおります。私は元来、外交も上手な方ではありませんから、仕事で勝負するしかありません。この気持ちで今日まで仕事に向かって参りました。お陰さまで、仕事も施主から施主へと紹介によりいただいておりありがたい事だと感謝しております。
 この薄倉工務店が創設されたのは明治十六年のことで、早や九十六年の歴史を刻んできたことになります。祖父が設立し、この私で三代目。思えば、私がこの建築の仕事に携わるようになったのは十五、六歳のことですから、かれこれ五十年余りこの道を歩んで来たことになります。私は棟梁の伜として生まれたわけですが、最初は職人さんと一緒に仕事をし、あらゆることをやってきました。
 定時制の建築学校へ通いながら、昼は仕事をするという生活が七、八年続きました。私自身跡取りだという気持ちがありましたし、若かったせいもあり、力の限りこの仕事に打ち込んだものです。
 今となってはすべて昔話になってしまいますが、こんな思い出があります。泊り込みで仕事をしている若い衆のの為に、朝飯と昼飯の弁当をもって、朝四時に錦糸町から汽車に乗って出かけたことがありました。真冬のことで、それもまだ革靴などない時代のことでしたから、駅に着くまでに足がすっかりかじかんでしまったのです。
 また、こんなことも懐かしく思い出されます。朝まだ暗いころ、あらゆる防寒具を身に着けて山ほどもある弁当を持っていたところ、不審に思われたお巡りさんに呼び止められたこともありました。その時私は、毛糸で編んだマスクのようなものを、頭からすっぽりかぶっていたので、不審がられても仕方がなかったかもしれません。
 こうして昔を振り返るとき、走馬灯のように思い出が浮かんでは消えていきます。思い出は尽きません。
 さて、その後召集された私は、終戦後シベリアで五年ほど抑留生活をしいられ、再び日本に戻ったときには、裸同然の状態でした。ただ、父の残してくれた家があるだけだったのです。しばらくして私は、かろうじて焼け残った道具を持って、昔のお得意様を歩いて回り、一日いくらの仕事をするようになりました。
 この当時私は妻に、こう申しました。「五年たったら仕事の方からきてくれる。それまでは黙って見てくれ」と。このころのことは今でも語りぐさになっているのですが、とにかく当時は戦後の焼け野原の中で、この薄倉工務店をたて直すのに必死だったのです。また、長い抑留生活を終えて、日本に戻ると昔の弟子が立派になっており、ずいぶん自分自身を情けなく思ったものです。
 当時は日雇い生活で、仕事を終えて帰ると、私は開口一番で「仕事はきたか」と聞いたものです。実際に仕事がきたのは、三年ほど経ってからです。私には、これだけで真面目に一生懸命やっていれば必ず仕事はくる、という確信がありました。お陰さまで、それからというものは、仕事が切れることなく今日に至っています。
 仙台、大阪、九州と東京以外にもお得意さまがいらっしゃって、「薄倉さんでなければ」といって私どもを頼ってくださるのは嬉しい限りです。
 現在は、息子の信和(4代目)にほとんどを任せておりますが、親の欲目ではなく、実によくやってくれております。この息子によくいうのは「大きくならなくてもいいから、地味に堅くやれ」ということです。といっても、毎年毎年落ち込んでいくようでは企業としては困りものですからそれは息子の采配に任せ、息子の頑張りを今後も見守っていきたいと思っております。
 私も妻も結婚してから三十七、八年になりますが、お互いにいつまでも健康で毎日を送っていきたいと思っています。
【エコノミックジャーナル 1975年12月15日号】

私が1歳の時に書かれたものですね。

祖父であり、三代目の気持ちが少しわかって嬉しく思いました。

と同時に、私自身背筋の伸びる思いでした。

ちょっと一息・・・ウスクラ建設

生まれたばかりの私と祖父。

今なら仕事の話が少し出来たかもしれませんね

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